2007-11-05 第168回国会 参議院 行政監視委員会 第2号
私は話を聞きながら、細井和喜蔵の「女工哀史」、かごの鳥より監獄よりも寄宿舎暮らしがなおつらい、あの歌を思い出しましたね。現代の青年たちが正に派遣哀史とでも言うべきような状況に置かれている。 長らく、戦後こういう派遣労働というのは禁止されてまいりました。それが規制緩和の流れの中で解禁され、八五年、どんどんどんどん拡大されてこういう状況を生んだ。
私は話を聞きながら、細井和喜蔵の「女工哀史」、かごの鳥より監獄よりも寄宿舎暮らしがなおつらい、あの歌を思い出しましたね。現代の青年たちが正に派遣哀史とでも言うべきような状況に置かれている。 長らく、戦後こういう派遣労働というのは禁止されてまいりました。それが規制緩和の流れの中で解禁され、八五年、どんどんどんどん拡大されてこういう状況を生んだ。
派遣業法にも守られない、前にも申し上げましたけれども、正に女工哀史のような状況の若者がたくさんいると。一説では百万人あるいはそれ以上いるなんていうことで、非常に心配をしておりましたけれども、いよいよこういう形で出てきたと。
例えば、時間外だとか休日労働の強制や割増賃金の不払、あるいは管理費などの名目での実質ピンはね、あるいは最低賃金制度が守られない、約束違反の就労を強要される、保証金や賠償金を取る、パスポートを取り上げて行動の自由を奪って途中帰国を困難にする、あるいは居住環境が非常に劣悪だと、果ては暴力あるいはセクハラ、こういう人権侵害がいろいろ指摘をされておりまして、これだけ見ますと正に現代版女工哀史、こういう印象さえ
一見華やかな日本の製造業の現場では、これだけの数の派遣や請負労働者がまるで女工哀史を思い起こさせるような前近代的な劣悪な労働条件で働いている。 私は、クリスタルグループから百人以上の労働者の供給を受けている事業所を抽出してみました。これがそのパネルですが、(資料提示)百一事業所もあるんです。その大半がしかも請負なんです。ちょっと小さい字なので分かりにくいと思いますが、その大半が請負であります。
こういう派遣で過酷な、この前も申し上げましたような昔の女工哀史のような状況で若者が働かされているという状況もしっかりと見て、これはやっぱり国として対応していかなければ、ニートやフリーターが云々ということ大事ですけれども、本当にそういう現実があるということをやっぱりこれは手を付けていかなければならないということで、私も今いただいている立場の中で必死にどうしたらいいかということで動いている状況であります
私、お話を伺っていて、正に現代版の女工哀史なのではないかと思いました。こういう実態がJITCOの行っている母国語相談などの中でも私は寄せられているんじゃないかと思うんですが。 時間がなくなりましたので、労働基準局に一問だけお尋ねをしておきたいと思いますが、外国人労働者の実態がこういう状況にあるという中で、例えば福井の労働局ではこの技能実習生に特段の着目をした調査を行われたというふうに伺いました。
そして、実はその今個別のアルバイターあるいは派遣ではないいわゆる請負の人たち、これはもう正に、中身は同じなんですけれども、派遣業法でもつまり守られないから本当に女工哀史みたいなひどい劣悪な環境で働く。ですから、ニートの若者がやっぱりちょっと少し働いてみようかなと思うと、簡単に請負業者とは契約できるんですね。そして行かされるところが非常に考えられないような環境で働かされる。
つまり、派遣業法にも適用しないわけで、例えば一か月の間に何回、三回も四回も職場、働くところが企業内で変わるとか、いろいろな、昔の女工哀史ではないですけれども、そういうふうな状況もあるというこの現実は、これ、お三人の先生方にお伺いしたいんですけれども、どういうふうに把握していらっしゃるのか。
あるいは、女工哀史なんかの話をしても何も感じないんですよね。しかし、その日本の国が、人権というものが大事にされる、こういう世の中になってきたんですよという歴史教育をやっていない。そういうことの、私は逆の意味でいうと、こんなんでいいのかしらんと。 私の父親の時代、私の父親はシベリア出兵行って全身凍傷して帰ってきた。しかし、父親はそんなことを子供には話、せぬですよね。
正に現代版女工哀史と言っても過言ではないような事態だと思います。 労働基準法、憲法と労働基準法は、このコメンタールなどを私も少し勉強させていただきましたけれども、戦前の工場法とか鉱業法などとは違いまして、単に労働者を保護したらいいというものではないんだと。労働条件の水準をきちっと定めていて、その労働条件の水準というのは人たるに値する生活を維持する、できる水準なんだと。
私もテレビの仕事を長年やっておりましたので、テレビの下請プロダクションの悲哀といいますか、女工哀史よりも激しいというか、そういう実態も現実に見てまいりました。それだけに、環境の整備をしてあげる必要があるかということを痛感するわけでございます。
我々は大垣から参りましたので、紡績の町でしたけれども、昔は女工と言った、女工哀史という言葉がありましたが、今は専務員という名前に変わっていますね。ですから、私は、下請というのは上があって下だと。これは上下の関係を表す、イメージを表す。
一九四五年まで、我が国の労働者は、劣悪な労働条件と低賃金、世界に類のない長期労働契約など、「女工哀史」にも示されたような厳しい状態を強いられてきました。こうした歴史を踏まえて、憲法は、労使関係の契約自由の原則を修正し、国が労働条件などの基準を積極的に提示することによって、違反者には罰則を科し、労働者の保護を図ることにしたのです。
貧しい時代に、あるいは昔のように奴隷みたいな労働が行われていた戦前のような女工哀史というような時代にできるそういう法律とか基準というものと、今日のように豊かになった時代に出てくる法律とか基準というものとはやっぱり違っていいんじゃないかと思うんですね。基本的に憲法に書いてあるような権利が守られるということが大事でありまして、やはりそれは相対的なものではないかというふうに思うわけでございます。
今お話がありましたように、第二十七条で勤労の権利と義務、労働基準の法定、それから児童酷使の禁止、二十八条で労働三権、これが規定されたわけですけれども、これは戦前の女工哀史に見られるような、人たるに足りないような過酷な労働条件のもとで命まで落とすような、そういう深刻な実態の日本の歴史の中から生み出された、私は大事な権利だというように認識をしています。
我が国におきましても、やはり女工哀史の時代から大正の時代の労働争議、そして戦後、時短とか労働者の権利擁護ということを重ねてきて、こういうふうにできたわけですから、中国自身が何とかしない限りどうしようもない。 そして、技術協力というのは、また日本に対するブーメラン効果として返ってくると思います。
私、率直な感想だけ申し上げれば、自衛隊の隊舎、いわゆる野戦演習をする演習場でありますから、いわば私流に言うと女工哀史の中で出てくるような、本当に石の中に座っているような、バラックがあるようなそんな状況の自衛隊施設。ところが、すぐその隣に大変豪華な米軍の宿舎が置かれている。 自衛隊の中で私、意見聞きましたが、自衛隊の中で大変割り切れない気持ちだと、みんな言っておられる。
これは我が国が労働基準法で事業附属寄宿舎については寄宿舎の自治ということを明記して、附属寄宿舎規程というものをつくって、いわゆる今までのあの封建的な労使関係、女工哀史の根源をなくしたという歴史があるんですが、再びここでそういうような状況が私はあるのではないかと非常に胸が痛むわけでありまして、どうかこの宿舎についても一度監督をお願いしたいというふうに思います。御意見いかがでしょうか。
私が申し上げている効果と副作用というのは、実はそういうことではございませんで、やはり労働基準法や派遣職員の関係等をある意味で法律的に緩和をしていくということから、女工哀史というところまでの話ではなくて、労働者の方々について、例えばそれを希望される方もおられるかもわからないけれども、終身雇用制になれ親しんでいる人たち、あるいは一日八時間労働五日間ということになれ親しんでいる人たちには、急激に新しいところへかわるということから
その結果、女工哀史などという言葉が生まれたということで、もう副作用はわかっているわけですから、その歴史的な副作用はやってみなければわからないということではあり得ないというふうに思うんです。
細井和喜蔵が「女工哀史」に書いたように、「籠の鳥より監獄よりも寄宿ずまいはなお辛い、工場は地獄よ主任が鬼で回る運転火の車」という悲惨なものでした。 女性の深夜業の禁止規定は、紡績工場主らの猛反対に遭って、工場法施行後も十五年間も効力をとめられたのです。ようやく実施された後も、戦時特別法によって再び奪われました。